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「思い」と「型」・・・DNA

千利休の思いは中国にもない茶道という「型」を作った。
その型を系譜した人々は新たな「思い」を創造した。時には自分の流派なり、高価な道具なり、単なる金儲けの材料だったり、外国まで日本人の精神文化として輸出した。
 普通に行うことを型どおり、外れた行為を型破りの言葉があるのはこれからきたのかは不確かだが。
そこでまたしても、ふっと、思った。
利休の前にも茶の型はあった。確かに利休の型ではないがあった。そうすると、「思い」が先か「型」が先かと言うことである。現実にはお互いの相乗により新しい物が生まれているのだ。
 しかし、どうでもいいことだがどちらが先かは知りたいと思う。鶏が先か卵が先かと言う問題と同じか、ちょっと違うかな?
 そこで気が付いたのだ。型、生物の持っているもっとも特徴的な型はDNA、そしてその塩基配列なのだ。4つの塩基の型で生物が存在している。DNAの存在なくして「思い」は形成されない。つまり、単純な結論は「思い」より「型」が先なのだ。型があって思いが形成されその型が思いを形成していくのだ。それはそれ、そうだと思う。
 しかし、またしても、ふっと思うのだ。
 基本的にたった4つの塩基でこんな複雑な人間が出来るだろうか。おしっこをしても本当に良くできている。食べる、消化する。吸収す。貯蔵する、したいと思う。排泄する。他の生物の栄養になる。循環する等々。これは誰かの思いで作ったのではないか。おお神よ。仏よ。思いが先と考えるには神の存在を肯定せざるをえない。ホーキンス博士は宇宙を作るのに神のお力は必要ないと言ったけど。・・葡萄はどこへ行ったのだ
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