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「思い」と「型」・・・お茶

またしても訳の分からないタイトルにしてしまった。しかも、当分この言葉にしか興味がないのだ。
義弟曰く、難しいことが書いてある。難しいことであるはずがない。自分には難しいことがかけるはずもない。ただ、独りよがりなのだ。人が読むことをまったく意識してないから、独善(独悪ではない)的であることは明白なのだ。釈明はこれぐらいにして、久しぶりにつぶやくとしよう。
 そもそも、なんでこんなタイトルを思いついたかというと、千利休の茶道である(深い意味は分かるはずがない)ふっと、疑問に思ったのである。
 たったお茶を飲むだけの行為がなぜ500年も続いているのだろうと。行為としては茶を飲むだけである。自分は抹茶が好きだからよく飲む。ただ飲む。うまい。茶道ではない。(知らないと言うことは気が楽だね)。中国から伝わったとされる喫茶の行為は中国では発達しなかった。(中国人の友人の話)どうも()書きが多すぎるね、浅いからだろうな。
千利休は知っていたんだろうな。思いだけでは伝わらない。残らない。独りよがりではなく普遍化することが・・「思い」に「型」を作らなければ残らないことを。残すと言うことは自分が生きると言うことだ。現に利休は500年生き続けている。利休は新しい職業までも創造してしまった。家元、お茶生産者、道具職人、建築、畳屋さん等々、今で言うベンチャーだ。これも500年続いている。すごいことだ。その上に、「思い」を昇華した日本人の精神文化まで創造したのだ。創造したのだ。昔からあった訳ではないと思う。・・葡萄はどこへ
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