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葡萄はどこから来たの 2

葡萄はもとより、文字、宗教、文化等々日本人の基本的なアイデンティティー、例えば「惻隠の情」等も中国から来ているのだ。中国から見れば日本は親戚なのか、子供なのか少なくとも対等な位置にはなかったと思うのだが。日本から見れば、中国はまさに「師」そのものであっただろうと思うのだが。いつからこんなぎくしゃくした関係になっちゃったんだろう。明治だろうなと思うのは素人かもしれないけど。欧米に追随して戦争なんか起こして明治にたまたま勝ったようになったのがいけないよな。挙げ句の果てに300万人余も昭和になって戦死させて、悲劇だよな。話が飛んでしまったが、今また尖閣だ。まったく。中国と仲良くするといけないのかな。どこか、誰かが損するのかな。中国人は井戸を掘った人を忘れないと言うけど、日本人も忘れちゃいけないよな。日本という形が出来るのに寄与した人を。謙譲の美徳を持って温故知新。もう一度新しい関係を作りたいね。その時に日本は、「出藍の誉れ」を堂々と感謝したらいいと思うのだが。あッ、これも中国語だ
あれれ、葡萄からとんでもない事を書いちゃった。ど素人の無責任極まりない話だ。無責任と言えば植木等。三重県の人だ。これでごまかしたつもり・・・お呼びでない?
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葡萄はどこから来たの

葡萄はどこから来たの?と、問えば、地球46億年の歴史を語ろうか。なんて、とんでもない。もっともっと、最近の事だ。最近と言っても奈良時代にさかのぼる。
日本の葡萄と言えば甲州葡萄。なぜか「vitis・vinifera」、ヨーロッパ系の葡萄だ。それも中国系の葡萄だそうだ。そう、葡萄は中国から来たのだ。雨宮さんやら、僧・行基さんの説もあるけど、私は中国からきたものだと確信している。
ならば、他にも中国から来た物は何があるだろうと推測してみる。まず、「漢字」。そうなんだ、中国は漢の文字なんだ。同じく今は和服と呼んでいるけど、小さい頃は「呉服」だった。そうです。呉の服だから呉服なんですって。ちなみに中国の人に聞いたんだけど「チャイナ服」は漢民族ではなく満州人の服なんだそうです。これも中国だけど。
続いて「お茶」、南宋の頃流行ったらしいけど中国では消えたそうだ。「絵画・水墨画」・・中国で買った掛け軸が自宅に飾ってある。「琴に琵琶、笙」等の楽器。今も良く似たものを伊勢神宮でならしている。
もっとすごい物がある。「孔子」の儒教だ。子曰く・・・だ。中身忘れたけど、仁・義の元になった教えだ。日本人のアイデンティティーの元は中国人の作ったものなのだ。
あらためて思い直すと中国人はすごい。特に昔の中国人は。
もっとすごい物があった。私が毎日ご先祖様の前で唱えている「般若心経」なのだ。おなじみの三蔵法師がインドから持ち帰って翻訳した物だそうだ。お釈迦様が入滅してから500年経てから作られたものだそうだ。てっきりお釈迦様が作ったものだと思っていたのでさすがにかなりショックだった。
ちなみに日本・「蓬莱」は孫悟空の故郷で神聖な場所だ、と、やはり中国の人に聞いた。最後に中国系のスナックで飲んでいたとき「あなたの顔は・・省でよく見る顔です」と言われた。私も中国からの渡来人だったのか。そういえば、ぺっちゃりした顔だな。

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玉村先生の教え 5 誘引は第2の剪定

この連続シリーズを書いている内、思い出してきた事柄がある。先生は誘引には大変厳しかった。ある時、試験場の誘引が気に入らなかったのか、悪かったのか分からないが。多分両方だろうが、全部やり直りを命じられ、職員が泣いていたと言うのが聞こえてきた。
ぶどう農家はご承知のように、餅網の四角い番線の上に直線のぶどうの枝を誘引するのだ。決して、曲線ではないのだ。また、ぶどうの芽は左右に水平になっていなければならないのだ。そうだ。なっていなければならないのだ。厳しい先生はここを職員に求めたんだと思っている。
長野県へ視察に行ったとき、同行した仲間にこのことを言っていたら、皆さんは相当技術が高いんですね、と勘違いされてしまった。受け売りで恥ずかしい思いをした事がある。
この続きの実際の方法は今も教えていただいているR先生に丁寧に教えて頂いた。餅あみのどこに、どう誘引する、かでぶどうの剪定は完成する。だから、これをやろうと思うと麻縄が必要なんだ。R先生は今も麻縄を使っている。
私はといえば・・・。やっぱり、テープナーの早さと便利さに勝てなかったし、麻縄の結び方がへたくそなんだ。本当に。・・・だれだ、何をやってもへたくそだろうと言っているのは。

レ、ミゼラブル

なんだ、このタイトルは?ぶどうと何の関係が。何の関係もない。まったく関係ない。あるとすれば、ワインの生産地フランスが舞台と言うだけだ。ではなぜここに?戯言も許されるのだ。まあ、誰も見ていないと思っているから。
レ、ミゼラブルといえばああ、無情。といえばアン・ルイス・・・きれいでしょ、ひらひらと、いい女でしょ・・だ。ああ、思い出す青春のスナック。良く歌っていたな~~。あの娘はもう結婚して子供の3人でも持っているのかな?本当に戯言になってしまった。
映画を見た。観客動員数No、1だそうだ。前にも同じ題名の映画を見たが、今回はミュージカルだ。いろんな評価があった。生録音だそうだ。あの、ラッセルクロウが本当かいな、と、思ってしまった。別に映画評論なんかするつもりもないし、出来るはずもない。ただ、ロングランのミュージカル、そして、あの弱肉強食のアメリカの映画会社が記念に良くこの物語を採用したなと思ったのだ。宗教、つまり、キリストの教えなんかとっくに忘れて銭の亡者になっているアメリカが、だ。
レ、ミゼラブルは「自己犠牲」が主題だと思うからだ。キリストの教えの本質の一つはここにあると思うのだ。毎日、般若心経を唱えているいい加減な仏教徒らしき自分だからよく分からないけど。正義の味方、アメリカはまだ救われる余地があるのかな、と大それた思いを感じてしまった。トルストイも自己犠牲を書いていたなあ。お釈迦さんも他人に尽くせみたいな事言っていたような気がするし。これが国と国になると、てめーの国の事しか考えないし、自己犠牲なんてとんでもないことになる。変かな?変だよな。

玉村先生の教え 4 育種にだけは手を出しちゃいけません

若い頃、先生からいろんな品種をお預かりした事があった。まだ、品種が確定していない頃のスチューベン。成りやすかったが、作っていたピオーネに比べると、う~んであった。山梨県育成の笛吹。自分の技術ではどうにもならなかった。花が付かないんだから。山梨県の育種家、間瀬さんの数種類。デラを改良したい一心の品種だったが。ご家庭の問題まで聞こえてきたので玉村先生はこういうことを言っているんだと思っていた。何せ育種は時間と費用と面積が必要だ。安芸津の先生は一代で一つ出れば運がいいとおっしゃってた。だが、先生の言いたかった事はもっと壮烈な歴史を見て示唆してくれていたのだ。
新潟に岩の原葡萄園がある。創業者の川上善兵衛翁はぶどうの世界では知らない人がないくらい有名な人だ。あのマスカットベーリーAの育成者なのだ。記念館も整備され葡萄園の歴史がわかりやすく解説されている。地域の農民救済と食料確保(ワインを作ることで日本酒の米を食料に回せる考え)を目的に幕末の偉人、勝海舟に相談している。勝曰くやってもいいが「おこも」(乞食)になるなよ、と。結果は、菊水印で大正天皇の行幸まで名誉を得たが、勝の言ったとおり、50ha余りの田畑を失い、借金王になり、離婚までさせられている。それを救ったのが今は大企業s社の創業者T氏なのだ。
ここで、思い出したのだ。先生の育種にだけは手をだしちゃいけませんの意味を。「松浦さん、色々言われますが、違いますよ。T氏が助けたのですよ。」川上善兵衛翁の苦労、育種の苦労を知りすぎるほど知っていたのだ。だが、玉村先生が私に言った意味は、もう少し低いレベル、「あなたには育種なんてとても無理ですよ」。であり、今になってみれば先生のおっしゃる通りであった。

玉村先生の教え 3 風がそよそよ吹く産地

松浦さ~ん、ぶどうの産地は夜風がそよそよ吹くところに出来ますよ。例によってなぜかは言ってもらえないし、聞かない。
数年がたち、ぶどうを作り始めた頃、樹勢が強すぎることもあり、ぶどうの大敵、ベト病に悩まされた事があった。今は大昔からの薬剤、ボルドー液を使用しているが、その頃は化学薬剤に頼っていた。
少し勉強してみるとベト病は露菌病と書く。ふと気が付いた。露の病気なのだ。露は湿度が関係する。しかし、風が吹けば露は付きにくい。そうか、風がそよそよ吹くぶどう産地はベト病が出にくいのだ。と、勝手に解釈した。真否は分からないが今もそう思っている。
ワインの委託醸造を依頼するために山梨県勝沼町のあるワイナリーに出向いた事があった。そこで聞いた話は、勝沼町は夜、山からの風がそよそよと吹くんです。これがぶどうにいいんですと。勝沼は日本のぶどう産地の中で最も古く、有名な場所だ。なるほど、自説は間違いなかったと思った。玉村先生は勝沼のことを言っていたんだ。
そう言えば松浦葡萄園で夏の夕方、周りより涼しい場所があった。葡萄園の西側は樹木に覆われた里山になっている。そこからそよそよと樹木に冷やされた涼しい風が吹いているではないか。おお、ここは、松阪の勝沼だ。ワインブドウを冷やすのに最適な風だ。ひとりほくそ笑んだ。それにしては欲が強いのか、技術が足りないのか、日本一のぶどうは遠い遠い先だ。

玉村先生の教え 2「川を見下ろすぶどう産地」

その頃、先生の口添えで「川を見下ろすぶどう産地」を視察していた。秋が深まり収穫も終わっていた時期だった。残り物のぶどうがあり許しを得て一口食べた。その感動は今も忘れない。口だけでなく体中に香が広がるようなうまさは絶品であった。その品種を自分が食べたいために畑に植えたのが「ナイアガラ」である。若い頃、塩尻、松本など信州に縁のあった方がお客様である。みなさん口々におっしゃるのは「懐かしい」「いい香りだ」。「思い出すなあ」。自園ではナイアガラの事を「青春ぶどう」と呼んでいる。もちろん、超完熟まで収穫を待つ事は忘れない。

玉村先生の教え

もう、40年前にさかのぼる。先生はあまり知られてないが、ジベレリン処理によりぶどうの種なしを始めて作った人だ。このことについては、先生からは一度も聞いた事がなかった。むしろ、サハロフ博士みたいにこのことを悔やんでいるようにも見受けられた。著書にぶどうの栽培技術(朝倉書店)、ブドウ栽培相談室(農文協)がある。県下の技術者では出色の人である。前身は長野県桔梗ヶ原の試験場から故郷の三重に帰ってきた人だ。ひょんなことからぶどう栽培をしてみようかと思い立った頃、先生の講義を聴いていた。
「ぶどうの産地は川を見下ろすところに出来ます。」また、「夜そよそよと風の吹くところに出来ます。」松浦さ~ん、ぶどう栽培を始めるのはいいけど、育種にだけは手を出しちゃいけませんよ。・・・・なぜかは言わないところがいい。こちらもなぜでしょうなどと聞かない。礼儀だと思っていた。
ここで、前述した短梢剪定は「和服」長梢は「洋服」が出てきた。おおよそ、その意味が分かるまで十数年かかっってしまった。出来の悪い生徒だから仕方がない。初めての垣根仕立て肥料は窒素系0である。和服が似合うには体型を服に併せなきゃならないからだ。

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初めての垣根栽培です

DSCN1193.jpg
初めての垣根栽培。何が始めてか・・というと、自園でのはじめて栽培、三重県でも多分始めての形式。ここではヨーロッパや西日本で行われている短梢せん定をしなければならない。さらに、棚作りと違って上に向けて枝を伸ばすのだ。はじめてだな、やっぱり。始めて好きだな。でも、三重県は昔、短梢せん定から始まったと聞いている。いつか技術は忘れられてしまった。復活だ。私の最初の先生、玉村先輩は、松浦さん(何時も話のはじめにこういうのだ)短梢栽培は和服、長梢栽培は洋服ですよ。・・・・意味分かるかな?
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松浦葡萄園

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