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春はまだ遠いのか

寒いね~~。今日は3月2日。明日はひな祭りだ。寒い~~~~。冬の仕事、剪定に誘引。すべてが終わり。やっとこさに終わった。本当に一安心。今日はハウスのビニール掛けの準備。ハウスの上に登って、本当に寒風吹きすさぶる中だった。寒かった。春は何時来るんだろう。去年は2月22日にウグイスの初鳴きだった。今年はまだ姿は見せても鳴かない。鳴けないのかもしれない。ビシャコの華も香りもしてこない。春はまだ遠いのか。だが、こういう年は一気に春が来る。葡萄にとっても悪くはない。よ~~~く眠った後だからだ。だが。注意しなければならない。魚沼にコシヒカリを見に行ったときの事を思い出す。魚沼は全国一のコシヒカリ産地。価格は三重県の2倍。本当に2倍。ビックリした記憶がある。昔、魚沼はピリキュラエオリザエサティバ(学生時代この学名だけしか覚えられながった)いもち病の常習地帯だったそうだ。一気に春が来て成長するからだと地元の人が言っていた。これからすると、今年はこくとう病の当たり年かもしれない。注意、注意。それにしても、春はまだ遠いと言っているのに家のマネちゃん(黒猫の名前。・・縁起のいい、霊の強いクロネコだから。ふふふっ一杯「あがり」が入ってくるかも)えらく頑張っている。春満開なのだ。それにしも朝帰りの後でぐ^ぐ^寝るのはやめろよ。
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「思い」と「型」・・・葡萄の2

葡萄の思いは葡萄が発するアナログな情報、思いをこちらが理解する他はない。
よく、植物と話をするというのはこういうことなんだろう。葡萄には声帯の器官は無いから(?)アッホ。
だが、良く人をだますなんてことも言う。みかんや柿の着果予測でひどい目に遭ったことがある。自分だけではないがまったく分かっていないことが何度もあった。
だました葡萄が悪いのか、だまされた自分が悪いのか。東京ブルースみたいなもんだ(これが分かる人は昔の歌大好きなカラオケ好きな人)
経験を重ねて来てもたかが40回の栽培経験だ。工業製品とは物差しが違う。でも、少なからず毎年少しづつだが理解できるようになる。だがそれも今年のように梅雨入りが極端に早くなるとなんの意味もなくなってしまうぐらい葡萄にとっても自分にとってもひどい間に合ってしまう。

そんなとき、救いは揃っていないことだ。不揃いの葡萄たち・・うん、リンゴじゃなかったっけ。生育を斉一にするというが、斉一にしない方がリスクを回避できる。家の周辺にいる野良猫を見ていても気の小さい猫、すぐに餌に飛びつく猫、人に絶対なつかない猫、すぐなつく猫。色々な性格の猫がいる。事故にあったり、食糧不足になったり、大きなリスクを回避できるのは色々な性格、種類が豊富なことだ。・・・ウン、環境問題で良く出てくる「生物の多様性」と言うのはこれかな。

「思い」と「型」・・・葡萄へ

この項目でやっと葡萄にたどり着いた。体力、知力、金力いずれをとっても足らなさすぎるため、醸造は半ばあきらめている。
それならば、最高のワイン葡萄を作ろうと思いを馳せる。醸造家はよくいう。葡萄が良ければ良いワインが出来る、と。だが、ワイン向けの最高の葡萄とはどんな葡萄だろう。これも良く言う小さい葡萄の方が糖度が高い、なんて。本当だろうか。テロワールを感じる葡萄が。なんて段々抽象的になってきた。
分かっているのは、糖度が高く、着色のいい葡萄だ。それだけか?ミネラルは?アミノ酸は?細胞分裂数は?ますます分からない。多分総合作品なのだろう、ワイン葡萄は。
だが、葡萄への思いと葡萄の思いは違う。明らかに違う。これまでも度々違っていることがある。生食用ぶどうにしても、良く手間暇かけていますね、なんて言うけど、いい葡萄ほど手間がかからないものだ。逆に良かれと思いしたことが逆のことが良くある。技術が単に未熟ということに尽きるのだが。思いは型が決まらなければ空回りするだけだ。・・・その前に葡萄は何を思っているのだろう。

「思い」と「型」・・・DNA

千利休の思いは中国にもない茶道という「型」を作った。
その型を系譜した人々は新たな「思い」を創造した。時には自分の流派なり、高価な道具なり、単なる金儲けの材料だったり、外国まで日本人の精神文化として輸出した。
 普通に行うことを型どおり、外れた行為を型破りの言葉があるのはこれからきたのかは不確かだが。
そこでまたしても、ふっと、思った。
利休の前にも茶の型はあった。確かに利休の型ではないがあった。そうすると、「思い」が先か「型」が先かと言うことである。現実にはお互いの相乗により新しい物が生まれているのだ。
 しかし、どうでもいいことだがどちらが先かは知りたいと思う。鶏が先か卵が先かと言う問題と同じか、ちょっと違うかな?
 そこで気が付いたのだ。型、生物の持っているもっとも特徴的な型はDNA、そしてその塩基配列なのだ。4つの塩基の型で生物が存在している。DNAの存在なくして「思い」は形成されない。つまり、単純な結論は「思い」より「型」が先なのだ。型があって思いが形成されその型が思いを形成していくのだ。それはそれ、そうだと思う。
 しかし、またしても、ふっと思うのだ。
 基本的にたった4つの塩基でこんな複雑な人間が出来るだろうか。おしっこをしても本当に良くできている。食べる、消化する。吸収す。貯蔵する、したいと思う。排泄する。他の生物の栄養になる。循環する等々。これは誰かの思いで作ったのではないか。おお神よ。仏よ。思いが先と考えるには神の存在を肯定せざるをえない。ホーキンス博士は宇宙を作るのに神のお力は必要ないと言ったけど。・・葡萄はどこへ行ったのだ

「思い」と「型」・・・お茶

またしても訳の分からないタイトルにしてしまった。しかも、当分この言葉にしか興味がないのだ。
義弟曰く、難しいことが書いてある。難しいことであるはずがない。自分には難しいことがかけるはずもない。ただ、独りよがりなのだ。人が読むことをまったく意識してないから、独善(独悪ではない)的であることは明白なのだ。釈明はこれぐらいにして、久しぶりにつぶやくとしよう。
 そもそも、なんでこんなタイトルを思いついたかというと、千利休の茶道である(深い意味は分かるはずがない)ふっと、疑問に思ったのである。
 たったお茶を飲むだけの行為がなぜ500年も続いているのだろうと。行為としては茶を飲むだけである。自分は抹茶が好きだからよく飲む。ただ飲む。うまい。茶道ではない。(知らないと言うことは気が楽だね)。中国から伝わったとされる喫茶の行為は中国では発達しなかった。(中国人の友人の話)どうも()書きが多すぎるね、浅いからだろうな。
千利休は知っていたんだろうな。思いだけでは伝わらない。残らない。独りよがりではなく普遍化することが・・「思い」に「型」を作らなければ残らないことを。残すと言うことは自分が生きると言うことだ。現に利休は500年生き続けている。利休は新しい職業までも創造してしまった。家元、お茶生産者、道具職人、建築、畳屋さん等々、今で言うベンチャーだ。これも500年続いている。すごいことだ。その上に、「思い」を昇華した日本人の精神文化まで創造したのだ。創造したのだ。昔からあった訳ではないと思う。・・葡萄はどこへ
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